降り立った庭先には、紫陽花が競うように咲いていた。軒先からの微かな灯りに照らされ、重なる花弁が仄白く光を放つ。暫しその姿に目を奪われてから、リクオはゆっくりと家の主を振り返った。
「いつまでそんなとこで突っ立ってる。冷えちまうだろうが」
懐手で部屋から出てきていた鴆が、顔をしかめる。深夜、当たり前のように出迎えるその言いように思わず笑みを漏らし、リクオは素直に部屋へとあがった。
肩を並べたところで、伸ばされた鴆の手が頬へと当てられる。温かさに息を吐けば、すかさず睨め付けられた。
「ったく。やっぱり冷え切ってんじゃねぇかよ。こんな雨ン中を、よくもまあ」
「こんな雨ン中、何しに来たんだとは聞かねェのか」
視線を返して、からかう口調で尋ねる。
「そりゃあ、……」
言いかけて口ごもり、頬に血を上らせた鴆に、リクオは笑みを深くした。
「……オメエ、……ったく、言いてェなら聞いてやってもいいけどよ、」
思惑通りに羞恥を見せたのが悔しいのか、鴆の口調は常より幾分乱暴だ。
「そいつぁ野暮ってもんだろうが」
「……そういうもんか？」
頬に掛けられた手が、頤を掴む。仕返しのように性急に引き寄せられ、唇が塞がれた。苦笑の気配が、合わさった体温の中に溶けて消える。
口付けはすぐに深くなった。互いの舌を絡め、戯れに逃れてはまた求め、吐息も余さず貪り合う。濡れた感触に身体の奥が熱を持って、リクオは知らず、鴆の袖を握り締めた。
いつもそうだ。求めて求められれば果てなどなくて、呆気なく我を失う。もっと深く交わりたいと、触れた途端に餓えて、正気になど戻る気もなかった。
もどかしさだけが確かな感覚で、その先を望んで鴆の舌を味わう。いつもいつも、リクオの唇、そして身体の隅々、自身の知らない場所までも蹂躙する鴆のそれを意識すると、唐突に身体が火照るのを感じた。
「ん……、んんっ……、」
気が付けば、腰へと回された手にしっかりと抱き寄せられていた。濡れた着物越し、指に込められた力が伝わる。何気ない仕草にもう身体は焦れて、リクオは鴆へと下腹を押しつけた。交わったままの唇が一瞬緊張し、ややあって、ゆっくりと解放される。
「オメエを見たときは、そんなずぶ濡れで、風呂でもと思ったんだが、」
リクオを腕の中に入れた鴆が、耳元で囁く。耳朶を優しく舐られて、背筋が甘く痺れた。
「悪ィな。そんな余裕なくなっちまった」
強く抱かれて、雨に濡れた着物の冷たさが膚に張り付く。けれど、布越しで伝わる体温に、そんなことなど気にならなくなる。
「それこそ野暮ってもんじゃねェかい？ こっちは最初っからンなつもりァねェよ」
低く、耳打ちを返す。隠すつもりはない。急く気持ちは自身も同じか、あるいはそれ以上だと何より己がわかっている。
「……鴆、お前が温めてくれるんだろ？」
抱いてくる指が、きつく、背へと食い込む。
いつも酒を酌み交わす縁側から室内へと手を引かれる間も、口付けを散らし合った。耳元、首筋、瞼、そして唇。ただ、相手が在ることを確かめるよう、互いに触れては膚を辿る。かき立てられる身の内の情が、相手を欲しがって、ただ苦しい。
鴆の手が、乱暴に障子を立てた。雨音が遠くなり、不意に相手の体温を濃密に感じる。
「リクオ、」
先刻とは違う声音で、身体を壁へと押し付けられる。
首筋から鎖骨を唇で辿りながら、鴆はリクオの着物の帯を解いた。剥き出しとなった肩を甘噛みされ、そのまま着物を床へと落とされる。震えたのは一瞬。濡れて冷えた身体を梅雨冷えの夜気が包む間もなく、噛みつくよう、胸の尖りを唇に含まれる。
「んっ……」
熱い舌で抉るように舐られて、どうしようもない疼きが身体を揺さぶった。
「……鴆っ、」
思わず呼んだ名前に、きつい舌遣いが返される。崩れそうになる膝を堪えて見下ろせば、目を伏せた鴆の口元に濡れた舌が光った。熱い、と思う。触れられた箇所も、これから触れられる箇所も、熱をもって痛いほど脈打つ。
縋るものを求めて、鴆の背を抱いた。応じて向けられた眼差しと視線が合う。自分を映す双眸に、常とは違う情欲が在った。それは自身を急き立てるものとまったく同じで、リクオは思わず口元を緩める。
この瞬間、自分もこんな表情をしているのだろうか。ただ相手が欲しいと、不穏を隠しもせず。
本家では一派を率いる党首として若頭へ忠義を立てる鴆が、閨にあっては容赦なくすべてを奪う。頑ななまでに配下としての態度を守る普段とは裏腹に、ときには露わな妬心が透けて、思うさまリクオを啼かせた。一方のリクオも膚を重ねれば執心はすぐに知れて、あとはただ欲しいままに蕩け、鴆の名を呼ぶだけだ。
常にあっては隠した情ゆえに、晒してしまえば互いを際まで昂ぶらせる。貪欲で一途な交情に溺れて、睦言と愛撫以外は意味を失った。鴆を欲しがる己と、己を欲しがる鴆だけが在って、身体を繋げ、声を嗄らして、魂までも手放してしまいそうになる。
リクオを見据えたまま、鴆も挑むような笑みを浮かべた。上目遣いのまま、見せつけるよう舌を差し出し、胸の粒を舐る。弄られ、濡らされて感じやすくなったそこから生じる刺激が四肢へと広がり、息が乱れていく。わざと音を立てて吸われ、堪えられず天を仰いだ。
「あぁっ……、……んっ、」
零れた嬌声も、舐られる濡れた音も、自分の身体からとは思えず、羞恥が鼓動を逸らせる。脇腹を撫で下ろす手と胸の尖りを嬲り続ける舌は翻弄されるのに十分で、もう、思うように息もできない。
「……あっ、………はぁっ、ん……っ」
「……ノヤロっ……」
小さく悪態を吐く声が聞こえて、一瞬身体が離れた。膝を着いた鴆に、先刻までとは異なるきつさで脇腹を吸われ、リクオの息が止まる。盗み見た顔は上気して、相手もまた昂ぶっていることが知れた。唇で丹念に朱を散らしながら、鴆の手がリクオの下帯を取り去っていく。
「っ……、鴆、」
掠れた声で呼べば、腰骨の上に歯を立てられた。親指が、露わになった脚の付け根を意思を持ってなぞる。鈍い痛みにも似た疼きが脈打つように身体を呑み込み、情欲だけを煽り立てる。身体ばかりか頭の芯も熱に冒されて、ただ、目の前の男が欲しくてどうしようもない。
もう、こんな交わりではもの足りなかった。身体も心も体温も吐息も、すべて蕩けて交じり合い、乱れて身も世もなくなる瞬間を自分は知ってしまっている。奪い、奪われて、愛しさを確かに身の内に刻むまで、この餓えが充たされることはない。
「……鴆っ、……なぁ、……っ」
短い髪に手を入れ、乱暴に撫ぜる。ねだる声音に顔が熱くなったけれど、構う余裕もない。
見上げて来た鴆が、口元を満足げに歪める。こめかみを親指で強くなぞれば、目元も笑み崩れた。どこか物騒で、ひどく色っぽい情人の笑みに思わず見惚れると、その表情にからかうような閃きが過ぎる。
既に勃ち上がりかけている中心を、口に含まれた。濡れた口腔に包まれただけで、喩えようのない痺れが背を駆け上がる。よすがを求めて鴆の頭を抱けば、下腹部を押し当てる格好になって、更に深く呑み込まれる。舌を這わせ、唇で食むように刺激されて、腰が勝手に揺らめき出す。
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