かすかに身じろぐ気配に、鴆は手元から顔を上げた。祈るように見つめた視線の先で、リクオがゆっくりと目を開ける。
幾たびも虚しく期待を裏切られた末のことで、ようやくの目覚めに鴆は大きく息を吐いた。
身体から、力が抜けていくのがわかる。己がずっと身を固くしていたことに気が付いたのは今更だったが、この一日半、いかに余裕を失っていたかということだ。
鴆はずっと、怪我を負って眠り続けるリクオの枕元に詰めていた。以前も、生きているのが不思議なほどの重傷からも回復したリクオだ。今度も大丈夫だと信じてはいても、目覚めない相手を前にすれば、焦燥ばかりが鴆を苛んだ。その傷を、痛みを、せめて癒してやりたいと願うのに、自分の手が届いているのかどうかも定かでないまま、時間が過ぎた。
「リクオ、」
身を乗り出して、静かに名前を呼ぶ。
ぼんやりと瞬きを繰り返し、次の瞬間、リクオは盛大に顔をしかめた。
「鴆!」
寝起きの掠れた声に迫力はない。けれど勢いよく身を起こしたリクオに袖口を取られ、鴆は呆気にとられた。
「鴆、てめえっ……」
睨んでくる顔に、倒れたときのやつれはもうない。けれどリクオは皆まで言えず、鴆の袖を掴んだまま、小さく呻いて布団に突っ伏した。
「……急に起き上がるからだ、リクオ」
静かに上体を抱き起こし、夜具の中へと追い返す。布団を首元まで引き上げてやれば、リクオは顔半分が隠れる位置まで身を沈め、どこかふてくされた表情で鴆を見上げた。ひどく子どもっぽいその様子に、安堵も相俟って思わず苦笑を漏らしてしまう。
「……で、何だ?」
「あの薬、飲ませただろ」
くぐもった声が、それでも不満を露わに鴆を非難する。
「それがどうした?」
言われた瞬間、合点がいったが、何食わぬ顔で聞き返す。
「……やだって言ったじゃねえか」
リクオはわずかに言い淀み、けれど開き直ったように文句を言った。
「意識もなかったヤツが我が侭言うんじゃねえ。覚えちゃいねえだろ?」
「仕方ねえだろ……っ。口ン中苦いからわかるんだよ」
「お前なあ……」
本気で嫌そうに顔をしかめる相手に、鴆もとうとう呆れ顔になる。
「怪我人の分際で、よくまあ薬が苦いとか言えたもんだな。ったく、一日半寝てたんだぜ?」
「あー……そいつぁ……」
悔しそうに顔をしかめて、リクオが呻く。
「……心配、かけたな」
神妙な表情になって見上げてきたリクオに、鴆は安心させるよう笑ってやる。
「もういい加減慣れちまったぜ? おめえの面倒見ンのはオレの領分だ。それだけ覚えててくれりゃあ、構わねえさ」
「……鴆、」
くすぐったそうに、リクオが笑う。
「そんなん、今更言われるまでもねぇ」
布団から手が伸ばされ、身を乗り出した鴆の頬へと触れる。
「最初っから、お前に全部預けてんだろ?」
「そんなら、」
リクオの髪をかき上げてやりながら、鴆は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「もう一回、あの薬飲めるよな」
「はああ!?」
抗議の声とともに素早く布団に潜り込もうとするリクオの手首を捕まえて、鴆はなおも身を乗り出した。
「オレに預けてくれてんだろう?」
「ずりぃぞ鴆……っ」
「往生際が悪いな、リクオ」
リクオはまた顔の半ばまで布団に潜って、情けなく眉を寄せている。
「自分は飲まねぇからそういうこと言えるんだろ。あんなひっでぇ味……」
「バカ言え」
懲りずに泣き言を口にしたリクオを、鴆はきっぱりと遮った。
「どうやって飲ませたと思ってんだ。意識もねぇお前に」
「?」
瞬いて、けれどすぐに理解したのか、リクオの頬に血が上る。
「また飲ませてやってもいいんだぜ?」
顔を寄せて笑った鴆に、リクオは耳まで紅くなった。
「オレは構わねぇし、遠慮すんなよ?」
「……飲めばいいんだろ、飲めば」
半ば自棄気味のリクオが、渋々布団から身を起こす。渡した薬を半眼で睨んだが、とうとう諦めたのか、目をつぶって飲み干した。
思い切り顔をしかめたリクオの髪を、掻きまぜるように撫でてやる。
「……何だよ、」
「褒めてやってんじゃねえか」
からかう口調に、リクオはそっぽを向いた。
「子どもじゃねぇし」
「言ってることは子どもじゃねえか」
口を尖らせたリクオの顎を捉え、振り返らせる。
「けど、そう言うんなら、」
そっと、唇を押し当てた。一瞬リクオの身体が緊張し、けれどすぐに鴆へと身を預けてくる。
「これならいいだろう?」
囁いて、鴆はもう一度口付けた。舌を絡めれば、薬の苦い味がした。
構うはずなどなかった。うなじを引き寄せ、鴆は存分にリクオを味わおうと口付けを深くした。
(了。2012.1.28.)
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