呼ばれた気がして、リクオは目を覚ました。
 ぼんやりしていた意識が、徐々に戻ってくる。浮世絵町の自室でもなく、薬鴆堂の鴆の居室でもない。けれど、どこか懐かしさを感じさせる気配があった。
 葉擦れの音が耳をくすぐり、木々の匂いが家屋の中までをも包んでいる。何処かで風鈴が、涼やかな音色を響かせた。
 首を巡らせば、傍らで笑みを浮かべた鴆と目が合う。
「起きたか。……よく寝てたぜ、リクオ」
 そうだった、とリクオは思い出す。今朝から二人で遠野に来ていたのだ。
 挨拶をすませ、そのまま旧知の顔ぶれとやりとりするうちに昼をまわっていた。昼餉のあと、好きに使えと集落の外れにある屋敷に案内され、皆はそれぞれの仕事へと散っていった。修行の時に与えられた寝床が釜一つだったことを思うと、結構な待遇の変化だ。
 今は無人の屋敷なのだろうが、手入れはよくされていた。夜中の移動だったため、寝転んだところで眠り込んでしまったらしい。障子が開け放たれた向こうには、午後の日差しが夏草に降り注いでいる。
 身を起こすと、伸ばされた鴆の手が頬へと触れた。当たり前のように唇が重なって、そのまま畳へと押し倒される。
「……リクオ、」
 じゃれつくように始まった触れるだけの口付けは、いつのまにかリクオの唇を優しくなぞっていた。笑みを含んだ囁きも、ねだるように食んでくる唇も、リクオを唆し、待っている。
「……鴆、」
 それなら、我慢をする理由などない。リクオは唇を薄く開け、触れてくる鴆の唇を舐めた。笑んだ気配を感じたのは一瞬、待ちかねていた鴆の舌がすぐにリクオのそれを絡めとる。
「んっ……」
 覆い被さる鴆は、我がもののようにリクオの舌を吸った。幾度夜を共に過ごしても、濡れた舌同士が擦れ合う感触は刹那身体を竦ませる。怖いような戦慄きが爪先から背筋を駆け抜け、後を襲うのは抗うすべのない欲情だ。
 身も心も奪われる交情を先触れされて、声にならない吐息を交わす。もっと相手を感じたくて、互いに口付けは深くなった。熾火にも似た疼きは、目覚めてしまえばかき立てられる一方で、身体の芯をどうしようもなく火照らせていく。
「……鴆、……っ、んっ……」
 逃れられない体勢のリクオを、鴆は容赦なく蹂躙した。


                               (11.08.12.発行予定『遠雷』より)




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