夜が更けても、本家の大広間では呑めや歌えやの騒ぎが続いていた。何かと口実を見つけて酒宴となるのは常のこと。リクオの誕生日ともなれば、宴好きの妖たちがここぞとばかりに騒ぐのは当然だった。
 けれど、肝心の三代目の姿は見当たらない。足早に廊下を抜けてきた鴆は大広間を一瞥し、踵を返したところで酒を運んできた毛倡妓と鉢合わせをした。
「あら、鴆様、」
 目を瞠り、一瞬驚いた表情を見せて毛倡妓は首を傾げた。
「今日はもういらっしゃらないのかと」
「ああ……ちっとな。リクオは?」
「大分前に出て行かれましたけれど」
「そうか」
 頷いて、そのまま廊下に出る。少し迷って足先を離れへ向けると、背中から毛倡妓に呼び返された。
「鴆様、」
「何だ?」
 笑みを含んだ声に振り返ると、揶揄と非難の入り混じった目に見つめられる。
「寂しそうでしたよ、若」
「……莫迦言うな」
 皆の前でそんな素振りを見せるはずもないだろうが、宴に参列できなかった後ろめたさは確かにある。言われれば、苦笑するのが精一杯だった。手を放せない仕事だったのは毛倡妓もわかっているのだろう、それ以上は責められず、小さい笑み一つを残して背を向けられる。
 ただでさえ気が急いていたところに追い打ちを掛けられた格好で、鴆は足早に廊下を折れた。向かう先は、自身に宛がわれた離れの部屋だ。根拠はなくとも予感はあって、案の定、襖を開ければ既に調えられた夜具に百鬼の主が転がっていた。
 声を掛けようとして、情人の名を寸前で呑み込む。部屋は暗いままだ。廊下の明かりに照らされ、わずかに身じろいだリクオは、どうやら本当に眠っているらしい。
 黙ったまま、鴆は傍らに膝を着いた。手を伸ばし、寝乱れた髪を一房、指に絡める。宴では皆の盃を受けたろうから、さすがに飲み疲れたのかもしれない。
 起こさぬよう、そっと手に取った髪へと唇を押し当てた。静かに寝かせてやりたいと思いながらも、目の前にリクオがいれば触れずにいられるはずもない。髪を撫で、あどけない寝顔に誘われるよう頬へと指を伸ばせば、リクオは眉を寄せ、眩しそうに瞬いた。
「……あぁ? 鴆?」
「起こしちまったな。悪ィ」
「いや、……寝るつもりじゃなかったんだが……、」
 目を擦って、リクオが顔をしかめる。
「もういい時間だ。悪かったな、せっかくの祝いに遅くなって」
「祝いならしてもらったぜ? 忘れたのかよ」
「ンなわけ、ねぇだろうが」
 起き上がろうとしたリクオを推し止め、傍らに横になる。半日ぶりに抱き寄せた腕の中の体温を感じ、鴆は鼻先をリクオの首筋へと埋めた。
 くすぐったいのか、笑いながら身を捩ったリクオを追って、組み伏せる体勢になる。と、悪戯っぽい笑みを閃かせたリクオに肩を掴まれ、引き倒されたかと思うと上下が入れ替わる。見下ろしたリクオと目が合えば、どちらからともなく笑い声が口をついた。
 じゃれるように二度、三度ともつれ合って、夜具の上を子どものように転がった。仰向けの体勢で強く抱き竦めれば、ようやくリクオも静かになって、鴆の腕を枕に傍らへと身を収める。
 笑い声が途切れ、庭の虫の音が耳についた。つい先日までの暑さが嘘のように、涼しい夜気が身を包む。
 寄り添う体温に愛しさが込み上げて、そっと額へと口付ける。今夜は本家で宴だったが、昨夜は薬鴆堂で二人だけの祝いをした。朝まで寝かせず、幾度も情を交わしたのに、半日離れただけでずっと触れていないかのような餓えを覚える。リクオと再会し、膚を重ねるようになってそれなりの月日を過ごしても、想いは強くなる一方だ。
「眠いのか?」
 鴆の着物を握り締めてこそいるものの、瞼を落としたリクオに低く囁く。
「……朝から、学校の奴らが祝ってくれて。……あんま寝てねぇ、から……」
 少したどたどしい答えは、もう半分まどろんでいるのだろう。リクオが薬鴆堂から帰ったのは明け方だ。それなら、ほとんど休めないまま一日過ごしたことになる。
 口元を緩めて、鴆はリクオの髪を撫でた。たまには、ただ寄り添って眠るのも悪くない。
「おやすみ、リクオ」
 もう聞こえてはいないだろう言葉を囁いて、自身も目を閉じる。
 こうして二人でいられることの幸いが、温かく胸を充たす。
「来年も、こうして、お前と」
「……鴆……?」
 腕の中の熱を感じながら、思わず呟いた言葉。応じるように身じろいだリクオに夢うつつに呼ばれ、鴆はもう一度、寄り添った身体を抱き締めた。
                                 (了。12.10.01.) 

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