「ありゃ盆暮れの挨拶と一緒だ。いつも世話になってる礼だってあいつらも言ったじゃねえか」
「でもチョコレートですよ。中元でも歳暮でもありません」
「皆、何だって構わねぇんだよ。だいたいオレじゃなくてうちの組にくれたもんだろ。日頃の礼だと口上を述べられちゃあ、出て行かないわけにもいかねぇだろうが」
「それでも、鴆様が慕われてることにかわりはないではないですか」
「そりゃあ、オレの腕がいいからな」
 何やら噛み合わない気がしながらも、何にこだわっているのかよくわからない番頭を黙らせる。
「余計な話はいいから、茶でも……」
「鴆、構うな」
 低い声が、らしくなく波立って鴆を遮った。
 普段、リクオが素で声を荒らげることなどほとんどない。驚いて振り向けば、本人も自身の声に驚いたようで、ただ瞬きを返してくる。
「……リクオ?」
「あ……、……ああ、」
 困惑したふうに、リクオが視線を外す。
「……疲れてるとこ悪かった。もう帰るから休んでくれ」
「おい、」
 唐突な言いように訳がわからず、鴆は反射的にその腕を掴んだ。
 唇を噛んだ横顔は何処か危うげで、このまま帰せるものではない。胸がざわめいて手を強く引けば、再び視線が絡み合う。
 何かを堪える表情で、リクオが眼差しを返してくる。ぼんやりした頭で、唐突な不興のわけを懸命に思い巡らせた。あるいは昼間の不養生に愛想を尽かされたのかと思えば、日頃心配させている自覚があるだけに、居たたまれない気持ちが胸を覆う。
「なあリクオ、……無理したっつっても、うちの組の付き合いみたいなもんだ。心配かけたのは悪かったが、こればっかりは仕方ねえんだ」
「……鴆?」
 訝しげに、リクオがゆっくりと瞬く。その反応に何かを間違えた気がしながら、どうしようもなく目の前の彼を抱き締めたいと思う。何を言わなければならないのかも熱で霞んで、ただ、どうか笑ってほしいと願う。
「……だからリクオ、そんな顔するな」
 何故、リクオが傷付いて見えるのかわからない。わからなかったが、自分のせいだということだけは理解して、懇願する。
「……ったく、」
 しばし互いを見つめた後、小さく呟いたのはリクオだった。戸惑いの表情が徐々に苦笑へと変わる。呆れたような笑みを向けられて安堵しながら、焦れる気持ちで鴆はリクオの手を引いた。
「何だよリクオ。何がおかしい?」
「いや。……敵わねえなあ、お前には。……悪ぃがちょっと外してくれねえか」
 リクオが番頭へ顔を向けると、蛙は心得た様子で席を立った。障子が閉められると、さもおかしげにリクオは笑み崩れた。
「……何だいったい……」
「鴆、」
 口元の笑みはそのまま、済ました顔になって、リクオは提げてきた風呂敷を解いた。中から取り出したのは塗の重箱だ。
「こいつぁうちの連中からだ。毛倡妓が台所指揮して皆にふるまったやつだが、薬師一派は男所帯だから持って行けと」
 蓋を開けば、綺麗にチョコレートが並んでいる。
「今日のオレはただの使いだ。もう帰らせてもらうが、」
 鴆を見つめて、リクオは眸を細めた。
「なぁ鴆、オレの為に、人の風邪の治し方を調べてくれたろう?」
「……ああ?」
「もうひとつ、とっておきの方法を教えてやる」
 胡座を解いて膝をついたリクオが、喉の奥で笑う。
「ちっと苦しいかもしれねえが、我慢しろ?」
 極上の笑みには見惚れることしかできなくて、否も応もなかった。
 リクオが、摘んだチョコレートを一つ口の中に放り込む。
 両腕が差し伸べられ、鴆の首を抱いた。そのままリクオは身を傾けて、ゆっくり鴆へと口付ける。
 身体の奥を予感が撫で上げ、鴆もリクオの肩へと手を回した。
 触れた途端に甘い匂いをさせた唇が、誘うように鴆の唇をなぞる。
 促されるまま開けば、舌と一緒に融け出したチョコレートが差し入れられた。絡められた舌の狭間で甘い菓子は蕩け、それを余さず味わうつもりか、リクオの舌も鴆の口腔で踊る。
「……はぁ……っ、……んんっ……」
 甘やかな吐息を零して、リクオはなおも鴆を離さない。
 滑らかに融けていくチョコレートと、繰り返される深い口付け。独特の濃厚な香りは、眩む心地に拍車をかける。
 食むように舌を吸い合えば、身体の芯まで甘美に痺れた。菓子を舐るよう、時に舌先は淫靡な音をたて、菓子より甘い互いを喰らう。
 ようよう身を離し、リクオはなおも蕩けた笑みを鴆へと向けた。
「……人の風邪はな、鴆、」
 秘密を教える共犯者の顔で、低く笑う。
「誰かにうつしちまえば治るんだよ」
 まるで悪戯を告白するよう、耳打ちをされた。
「だから、あとはゆっくり休め。起きたらもう、治ってる」
 ひどく優しい声だった。何の根拠がなくともその言葉は信じられて、鴆は安堵を覚える。
 けれどこのまま眠りにつく前に、一つだけ言っておかなければと思う。腕を伸ばしてリクオの首を引き寄せると、鼻先を甘い香りが掠めた。
「リクオ、」
 口元が自然に綻ぶ。素直に身を屈めてきたリクオの耳へと、顔を寄せた。
「そのときは、また喰わせろよ?」
 何を、とは言わない。
「いっとう甘いやつを、な」
 共犯を誘えば、リクオの頬は薄く染まる。
「……ネギでも巻いて寝てろ」
 乱暴に布団へと押し倒され、上掛けを顎まで引き上げられた。
 少しだけ冷たい指がそっと瞼を覆う。この身の熱も痛みも何一つ変わっていないというのに、先刻より遙かに呼吸が楽になっていて、鴆は大きく息を吐く。
 やがて、静かな寝息をたて始めた鴆を見て、リクオは静かに立ち上がった。
                                         (了。11.02.18.)  



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