「やきもちだぁ?」 
 思い切り訝しげな声を出した鴆に、蛙の番頭が呆れた様子で首を振った。 
「まさか、本当に気付いてらっしゃらなかったんですか」 
「気付くも何も、リクオがそんな……やきもちなんざ、妬く必要がねぇだろう」
「……何でそう思われるんです?」
 ところは鴆の居室。毎夜のならいで番頭が今日一日のことを報告し、必要があれば鴆の指示を仰ぐ。鴆の前には酒の椀が、番頭の手には茶があって、たわいのない雑談となることも多い。多いのだが、今日の話題は雑談というにはいささか不穏だった。
「そりゃ……、だってそうだろうが。オレはリクオ以外興味なんざねぇし、リクオだって、んなこたぁ承知だ」 
「……まったく、」
 大きく息を吐き出して、蛙の番頭がさらに首を振る。
「そうすっきりと割り切れるもんじゃあ、ありませんよ」
「ああ?」
「大体、リクオ様だってチョコレートなぞ山ともらっていらっしゃるはずでしょう。それを平気だと?」
「そりゃあ……、」
 言いかけて皆まで言えず、苦い表情で鴆は唇を噛んだ。
「そうでしょう、それで当然です」
 したり顔で頷く番頭を睨むが、そんなことで動じる相手ではない。
「であれば、リクオ様だって同じでしょう。そうでなければ、甲斐がないというものです」
「甲斐がない? 何の話だ?」
「やきもちの話でしょう? せっかく鴆様があれほどチョコレートをもらったのですから、少しは妬いていただかないと」
「何だって?」
 聞き捨てならない言葉を聞いて、鴆が眉を寄せた。
「つまり……、わざとリクオにあんな話をしたってことかよ?」
「当たり前です。でなければしませんよ、あんな話」
 何を今更、との表情で番頭は頷く。
「何考えてやがる。そんな、わざわざ嫌な思いさせるような真似……」
「鴆様、」
 気色ばんだ鴆を、向き合う番頭はあらたまった口調で遮った。
「少しはお考えになって下さいませ」
「何だ」
 短気を堪えて促せば、至極真面目な視線が返される。
「やきもちを妬かせるのは、色恋の基本の一つでございます」
「はああ?」
「やきもきさせれば、執着も強まるというもの。鴆様にしても、リクオ様がやきもちを妬いて下さって、正直なところ悪い気はいたしませんでしょう? 好かれていなければ、そのようにすら思ってはもらえないわけですから」
「そりゃあ、……まあ……」
 歯切れ悪く答えた鴆に、番頭が満足気に頷く。
「リクオ様ご自身も自覚されてはいらっしゃらないようでしたが、無意識でもそれはそれでよいのです。いずれにしても色恋においては、自分から追い求めるときのほうが、強い執着が生じるもの」
「……そういうもんか?」
 気の入らない様子で鴆が首を傾げると、厳しい表情で番頭は身を乗り出した。
「そもそも、」
 聞き流す態勢の鴆は、手酌で酒を足し、椀に口をつける。
「何故、リクオ様と懇ろになれたのか、考えてみたことはないのですか」
「ぐほっ……」
 呑みかけていた酒に咽せて、堪らず鴆は身体を折った。
「おや、大丈夫でいらっしゃいますか」
 咳き込んで文句も言えず、せめて相手を睨めば、何を勘違いしたのか、番頭は力強く頷いた。
「リクオ様と言えば、由緒正しい奴良組本家の跡取りにして一粒種。側近が寄ってたかって大事に育てた箱入りの三代目です。いまやその器も大勢が認めるところ、見目麗しく、気っ風よく、奴良組再興の期待を一身に背負うお方ゆえ、慕う者も数知れず、女子なら選り取り見取りというのに、」
「……おい、何だそれは。誰が誰を慕ってるって……」
「何故、よりによって鴆様がよくていらっしゃるのか。……あくまで一般論ですよ、鴆様。それから、やきもちは妬かせるもので、こちらが妬いてはなりません」
「……おい、」
「そもそも何故リクオ様は鴆様を好いていらっしゃるのか、伺ったことはございますか?」
「……んなこと訊くわけねぇだろうが」
 どこからこんな話になったのか。何故、組の者にこんなことを訊かれなければならないのか。ひどく不本意な状況に、答える声も低くなる。それ以前に、随分と失礼なことを言われた気がしないでもない。
「こちらの売りがわからないというのは残念ですが、致し方ありません。それならば、あくまで王道で仕掛けるべきかと」
「……何の話してんだよ?」
「どうしたら、リクオ様のお気持ちを今以上こちらに向けさせるかという話でしょう?」
 物わかりの悪い子どもに言って聞かせるよう、番頭は鴆を覗き込んだ。
「おい、別にそんなん……」
「必要ない、とおっしゃりたいお気持ちはわかりますが、」
 声を荒らげた鴆を意に介さず、膝を進めてくる。
「やきもちを妬いていただいて、何かまずいことがありましたか? 私が席を外した後に?」
「……んなこたぁ、ねぇが、」
 リクオから差し出された濃厚な口付けが、記憶から立ち返る。鴆は口元が緩みそうになるのを堪えて、顔をしかめた。
「今以上に好かれて、困ることなどございませんよ。鴆様はもっと、手練手管を使われるべきです。あれだけ周囲が放っておかない方を運良くものにされたのですから、もう少しお考えになったらいかがかと」 「……そんなら聞くが、今度は何しろってんだ?」
 半ば自棄になって尋ねると、待っていたとばかりに番頭はさらに膝を進めた。
「鴆様なしではいられない身体にしてしまえばよいのです」


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