宵の口から始まった宴は、夜が更けて更に賑やかさを増していた。
 初代自慢の枝垂れ桜を望む庭先に敷物が広げられ、所狭しと座り込んだ者たちが盃を傾けている。庭に面した和室は大きく開け放たれ、無論、部屋の中も酔漢たちで足の踏み場もない。
 総会後の宴会も無礼講に等しいが、今夜は端から花見のための宴とあって、いっそう華やいだ酒席となっていた。気楽にやってくれとリクオが一言挨拶した後は、皆が好き勝手に呑み、食い、立ち歩いてはそこかしこの車座で盃を交わしている。
「あら、もうお酒ありませんね……ちょっとお台所まで行ってきます」
 酒を注ぎにきたまま話し込んでいた毛倡妓が立ち上がって、鴆は一人残された。入れ替わり立ち替わり酒を勧めにくる本家の側近や顔見知りの貸元たちと話すうちに、いつのまにか結構な時間が経っている。
 無意識に、目がリクオを探した。
 今夜はまだ一度もリクオと言葉を交わしていない。
 無礼講であっても公の席だ。三代目と話をしたい者は大勢いるだろうし、いつでもそれが叶う自分は遠慮すべきところだと鴆は心得ている。実際、呑みながら視界の隅に捉えたリクオはいつも二重三重に囲まれて、近付くのも大変そうだった。
 もっとも、今夜リクオを囲んでいたのは貸元衆というよりは女衆だ。下手に割って入れば喧しく取り囲まれ、酒の肴にされるのは鴆も同じだろう。
 それでも、いい加減挨拶の列は途切れる頃だった。一献くらいは交わしたいと情人を探すが、見慣れた姿は視界にない。怪訝な心持ちで首を巡らせると、唐突に背中を蹴飛ばされた。
「何きょろきょろしてやがる、鴆?」
 からかうような声に、自然と口元が緩む。勢いよく隣に腰を下ろして、リクオは鴆を覗き込んだ。
「おめえを探してたんだよ、三代目」
 お返しとばかりに小突き返せば、相手も楽しげに目を細める。
「空いてるじゃねえか。まだいくだろ?」
「ああ」
 盃を差し出すと、リクオは抱えてきた一升瓶から景気よく注いでくれた。
「お前も」
 瓶を奪って促せば、リクオも盃を出す。
「ん、」
 そのまま黙って、二人は盃を口に運んだ。
 会えばいつも話は尽きないが、こうして肩を並べればそれだけで十分な気もしてしまう。すぐ隣に相手の気配を感じながら、ただ、揃って桜を眺めた。
 周りの喧噪が今は遠い。強くなった夜風に枝垂れ桜が揺れる。夜の中で光を零す桜花に目を奪われ、けれど結局、鴆の視線は隣のリクオに引き寄せられた。
 白い面は、桜が映ったかのようにうっすらと染まっている。心地よさげに細められた眸は、幾分ぼんやりと枝垂れ桜を眺めているようだ。
 先刻、大勢に囲まれて笑っていたときとはまるで違う。それは随分と寛いだ表情で、リクオのさまざまな顔を知っている鴆も、一瞬心の臓を跳ねさせる。
 呼びかけようとして、躊躇った。
 今この時がひどく愛しく思えて、振り向かせることすら憚られる。
 今夜は既に随分と呑み、十分愉快な心持ちだった。気の置けない者たちと話は尽きず、何より、奴良組傘下の面々がこうして賑やかに会しているのを見られることが嬉しい。たとえリクオと言葉を交わせなくとも、それはそれで構わないと思っていた。
 なのに。
 本人を目の前にすれば他のことなどすべて飛んで、ただ、愛しさに胸を覆われる。
 気付いたときには、手を伸ばしていた。
 リクオの頬へと指が触れ、振り向いた相手に我に返る。
「……どうした?」
 首を傾げて、リクオはおかしげに瞬いた。
「珍しいな、酔ったか鴆」
「……まさか、」
 どれだけ自分は呆けた顔をしていたのかと思いながら、緩く首を振る。
「酔うかよ、これくらいで」
「そうか?」
 笑うリクオの盃が空なのに気付いて、鴆は酒瓶に手を伸ばした。けれど、身を乗り出したリクオはその手を抑え、小さく首を振る。
「オレは……もう十分酔ったぜ?」
 低く囁かれて、思わず相手を見つめ返す。悪戯めいた笑みを一瞬だけ過ぎらせ、リクオは立ち上がった。
「抜けるぞ」
 耳打ちだけを残し、返事も待たずに歩き出す。周りの者は誰も気付かない。
 苦笑して、鴆も後を追う。廊下で追い付いた肩に腕を回し、思い切り抱き寄せた。
「おい……っ」
 慌てた声に構わず力を込めて、腕の中の身体を確かめる。
「……リクオ、」
 ややあって、リクオの腕もそっと鴆の背へとまわされた。
「部屋まで待てねぇのかよ」
 呆れたような声は、けれど笑みを含んで、甘い。
「待てねぇな」
 顔を上げて、鴆はリクオの顔を覗き込んだ。間近で見つめ返してきた情人は、思った通り、少し困ったように笑っている。
「仕方ねぇヤツだな」
 言葉とは裏腹に、リクオの指が促すように鴆の頬へと触れる。
 これ以上ない幸福な気持ちで、鴆はリクオへと口付けた。
                               (12.03.25.)

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