早々に寝所へ引き上げた鴆は、休むわけでもなくぼんやりと窓の外を見遣っていた。宴の間の喧噪は遠く、先ほどのことも夢ではないかという気になりかけるが、そうでないことは己がいちばんわかっていた。
 無礼講の今夜、出来上がった淡島たちに捕まったのが運の尽きと言うべきか。いや、もちろん悪いのはうっかり調子に乗った鴆なのだ。
 酒の肴にイロっぽい話を聞かせろと絡まれ、最初のうちこそかわしていたものの、酔っぱらいの挑発に乗って聞かれたことには答えてやると言ってしまった。そうなるとあとはなし崩しで、散々情人の自慢をした挙げ句、気が付けば情事のことまで口に上せていたのだから、自分以外の誰のせいでもない。
 情事というか、情事の際の相手の様子というか、つまり相手がどんなに綺麗でイロっぽくて愛しくて堪らないか、という自慢話なわけだが、あろうことか、たまたま通りかかったリクオが山場も終わりにさしかかったその話を聞き咎め、問い質される羽目になった。もちろん自業自得だ。
 かなり際どい惚気を吐いていたなどと本人を前に白状できるわけもなく、適当にごまかして逃げてきたが、ますます不審に思われただけだろう。そもそも、自分が何と言い繕ったのか、まったく思い出せない。
 気が付けば何度目かの溜息を吐いていて、鴆は小さく舌打ちを漏らした。
 こんな中途半端な状況を放置しておくなど、性に合わないこと甚だしい。とはいえ、リクオに何と言えばよいのか皆目見当がつかなかった。
 曖昧な焦燥に胸を塞がれて、中空の月へと見入る。
 今、この手に欲しいと思う。あの熱を。あの声を。
 何より、真っ直ぐにこちらを見据えては、目元を綻ばせるあの瞳を。
 リクオのことを想えばそれだけで身の内は熱くなり、ただ、恋しさに息苦しい。
 先刻の別れ際の、怪訝そうにしかめられた表情が浮かぶ。リクオが質したのは、話を聞き咎めたというより己の態度が不自然だったからだと今なら知れた。この程度のことに拘泥する相手ではないが、今のままでは明日どんな顔をして会えばいいのかわからなくなりそうだ。
 やはり探しに行こう、そう思ったとき。
「邪魔するぜ、鴆」
 艶のある声に呼ばれた。
 驚きと緊張、そして安堵。息を呑んで視線を転じれば、既にリクオは鴆の向かいに座を占めていた。
「こんないい夜に、ずいぶん早い店じまいじゃねえか」
 その笑みは常と変わらず、別れ際の憮然とした表情は窺えない。
「それとも、誰かと逢い引きか?」
「何だよ?」
 軽口の意図はわからず、顔をしかめてみせれば、リクオは楽しげに唇の端を引き上げた。
「聞かせてもらったぜ? 惚気話」
「なっ……」
 あっさりと告げたリクオから視線を逸らせないまま、鴆は気まずさに顔を朱くした。
「えらい別嬪にベタ惚れで、随分と可愛がってるって話じゃねえか?」
 うたうように続けられた言葉に居たたまれず、掌で頬から下を覆うと、リクオの瞳が笑みに細められる。
「なかなか面白かったぜ? 相手は見目よし気立てよし、ついでに身体もよくって、何より心底おめえに……」
「悪かった!」
 耐えられず遮って、鴆はなおも顔が熱くなるのを感じた。
「オレが悪かったから、それ以上言うな、リクオ」
「何でだよ? 別に責めちゃいねえぜ?」
 とぼけた応えを返しながら、身を乗り出したリクオが顔を寄せてくる。
「惚気くらい誰だってするだろうが。酒が入ればイロっぽい話にもなる。囃されれば、自慢の一つもしたくなって当たり前だ。なあ、鴆?」
 覗き込んでくる瞳に、悪戯っぽい光が過ぎる。
「抱きしめて、口付ければ、身体も芯から蕩けるって? 喘ぎながら呼ばれれば、正気なんか吹っ飛ぶって聞いたぜ」
「リクオ、……人が悪ィぞ」
 それは確かに鴆自身が吐いた言葉で、やりきれないことこの上ない。恥ずかしさを堪えて睨み返すと、待っていたように破顔された。
「花のような情人とは、鴆にしちゃ随分と酔狂に吹かした……」
「オレは本当のことしか言ってねえ! オレの好いたヤツぁどんな花よりよほど極上だ!」
 さらにろくでもないことを口走ったのは、羞恥で頭の箍が緩んでいたのが半分、本気でそう思ったからが半分。言った端から鴆は頭を抱えたくなったが、相手にとってもこの切り返しは想定外だったらしく、リクオは呆気にとられた表情で固まっている。
 二人揃って互いの顔を見つめたまま、しばし沈黙が落ちた。
 言った鴆自身も顔が熱いが、リクオの頬も朱に染まっている。からかうばかりだった余裕は消え、珍しく二の句が継げないようだ。
「……なあリクオ、」
「っ、お前……、恥ずかしいヤツだな……っ」
 言いかけた鴆の言葉を遮って、目を逸らしたのはリクオだった。今更気恥ずかしくなったらしく、あらぬ方を見遣って口を引き結ぶ。
 情人の動揺に鴆は逆に我へと返り、必死に膝を乗り出した。
「淡島に何て言われたか知らねえが、オレは隠さなきゃならないようなことは喋っちゃいねえ」
「……」
「さっきは、おめえのことを惚気てたのが気まずくて……だから、」
 自分を見て欲しくて、鴆は相手の肩をつかんだ。振り向いたリクオは真っ直ぐに視線を返し、その先を待っている。
 白い膚に朱が差したその顔は、常にも増して綺麗だと、一瞬見とれた。
「悪かった。許してくれねえか、リクオ」
 鴆を正面からとらえる切れ長の瞳。何かを探すように見つめられれば、息をすることさえ憚られた。
 どれだけ、そうしていたのか。
 実際にはわずかの間だろうが、答えを聞くまでの時間は時が止まったかとも思わされる。
 ややあって、リクオは捜し物を得たのか表情を緩め、いつものからかうような笑みを口元に浮かべた。
「……別に最初から怒っちゃいねえよ」
「……ああ。わかってる」
「ただ、」
「……ただ、何だ?」
 珍しく逡巡する様子の相手に、鴆は何を言われるのかと、強いて穏やかに促した。
「……」
「……呆れたか?」
「……鴆は、何でオレのことまでわかるのかと思っただけさ」
 何気なく続けて、リクオが艶やかな笑みを閃かせた。挑む視線を受け止めれば、その目元の朱が強くなった。
 言われた意味は一拍置いてから心に落ちて、鴆の息を止める。
「こうして間近にあるだけで、身体が熱くなる」
 リクオの指が、鴆の項にかけられる。
「触れれば、もっと近くで感じたくなる。……何で、わかるのかと、」
「……リクオ、」
 情人の告白に、鴆は引き寄せられるのを待たず、リクオへと口付けた。待ちきれないように開いた唇に舌を差し入れ、口腔を性急に嬲る。喉の奥から溜め息のような声が漏らされて、身体は熱を上げ、いっそうきつく舌と舌とを絡めた。
 そのまま後ろへと押し倒せば、組み敷かれたリクオに逃げ場はない。逸る動悸の命ずるまま、鴆は吐息を貪り、舌を吸った。
 濡れて熱い舌を擦り合わせれば、身体の奥で火花が散り、馴染みのある疼きが全身を駆け巡る。心ゆくまで味わってようやく身を起こすと、鴆の下でリクオは、喘ぎにも似た荒い息を聞かせた。
「……もっと欲しいと、思ってくれるのか」
 自身も息を弾ませながら問えば、見上げた情人は婀娜な目付きで笑った。
「おめえが言ったんじゃねぇか」
 長い指が、鴆の頬の輪郭を確かめるよう滑っていく。
「自慢の情人は、おめえを欲しがって泣いてせがむんだろ?」
「……ンなことっ……、」
 覚えのない、ひどく扇情的な言い様に鴆は慌てふためき、眉を寄せる。
「っ、オレは、」
「いいじゃねえか。……本当のことだ」
 涼しい顔で言い放って、リクオは誘うように瞬いてみせた。
「まさかその身を惜しみはしねぇよなぁ、鴆?」
 答えの決まった問いに挑発されて、鴆は反射的にリクオの手首をつかんでいた。
「言われるまでもねえ」
 応えながらきつく腕を握った鴆に、リクオが満足そうに目を細める。
「それなら、」
 首筋へと顔を伏せた鴆の頭上で、熱を帯びた声が囁く。
「すべてはお前のものだ」
 今だけは、な。
 声には出さず言い足して、鴆は滑らかな膚へと口付けを落とした。それを合図のように、リクオの片脚が鴆の腰へと絡められる。
「鴆、」
 掠れた声に呼ばれれば、ただ愛しい。
声が嗄れるまで啼かせたい。正気を失うまで感じさせたい。
「リクオ、」
 囁いて、鴆はもうひとつ、白い膚へ朱の痕を刻んだ。

                                (了。10.08.12.)

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