かき立てられた欲情が、腹の底で熱を溜めていた。骨張った指が戯れのように脇腹を撫でていき、もどかしさだけが募る。
「なあリクオ、……他に何を聞かされた?」
 問い掛けは不意で、すぐには意味がわからなかった。
「何を……? ……んっ、……何のはな、しっ……」
 丁寧に口付けを散らされた身体はもう自分のものではないようで、ほんの少し刺激されれば、すぐに呼吸が止まりそうになる。
「淡島だよ。……さっきみてえないい加減なこと、他にも聞かされたんじゃねえのかって、」
 わずかに弾んだ息の間から重ねて問われ、ようやく理解が追いついてくる。
 俯せにされ、腰だけを高く持ち上げられた格好のリクオに、鴆は身を重ね、耳元で掠れた声を聞かせた。
「なあ、リクオ、」
 欲を滲ませた声に囁かれるだけで、腰が跳ねそうになる。
「さっきって……、ああ、」
 リクオは腕に伏せていた顔をあげ、努めて普通の口調を返した。
「おめえのこと欲しがって、泣いてせがむってヤツか?」
「……まあ、そういうことだ」
「自分で言ったことを、何故聞きたがる?」
「だから、それは……、」
 どこか悔しそうに口籠もられ、リクオは気付かれないよう口元だけで笑った。
 あの話すべてが鴆の語ったままでないことくらい、わかっている。大筋は惚気た通りだろうが、時折混じるひどく下世話な箇所は、淡島が聞き手を沸かせようと、あることないこと話を膨らませたのだとすぐに知れた。
「知らなかったぜ、……いい趣味じゃねえか、鴆?」
「……ったく。……人の気も知らねえで……」
 苛立たしげな溜め息とともに、鴆の指がリクオの腹を撫で上げ、胸の飾りを摘む。既に散々舐られ、朱く色付いたそこを強く扱かれれば、不安定な姿勢のまま腰を揺らしてしまう。
「……っ、はぁっ、……」
 意思とは無関係に、背が反り返る。上擦りそうになる声を堪えて、息を吐いた。
 不意に、熱い感触が耳朶を包む。
「リクオ、」
 濡れた音を、わざと聞かされる。
 耳朶を含んだまま呼ぶ声は、一転、興がる響きを孕んでいた。
「……オレにだけ聞かせてくれる声が堪らねえって、言われなかったか?」
「……あぁ?」
 尖らせた舌に耳殻を擽られて、思わず身体が跳ねた。
「甘くて、掠れた声に、……正気なんか吹っ飛ぶって、言ってやったんだがな」
 肩越しに、鴆が笑んだ気配が伝わる。
「何、だって……、ん、ぁんっ……」
「……なぁ、リクオ、」
 胸への刺激と、耳をまさぐる濡れた感触に、身体中が熱く、脈打つ。
「呼んでくれよ、……その声で」
「……っ、鴆っ……」
 その言葉、そっくり返してやると思いながら、相手の名を呼んだ。
 威勢のよい普段の喋りと打って変わって、鴆が閨で聞かせる声はひどく色っぽい。己への欲を隠すことなく名を口にされれば、それは有無を言わさぬ鎖となってリクオを縛めた。呼ばれるたびに我を失うのは、自分の方だ。
「リクオ、」
 声はいつしか愉悦を含んで、剣呑な気配を覗かせていた。
 背後から抱くようにまわされた手が、顎へと掛けられる。唇をゆっくりとなぞられて、リクオは薄く口を開いた。
 滑り込んできた指に舌を絡めれば、塩の味が刺して、他人の膚の生々しさに頬が熱くなる。表情の見えない相手に無防備な膚をさらす、その行為に身体が竦む。
「誰も知らねぇリクオを、」
 付け根まで含まされた鴆の中指を、無心に舐った。咥えた熱は容易に次の行為を思い起こさせ、放置された身体の疼きを意識させる。
「お前も知らねぇようなお前が、欲しい」
「……ん、くっ……」
 瞼を落とせば、暗闇のなか、己を繋ぎ止めるのは咥えた指と背に触れる体温、そして耳朶に触れる熱っぽい囁きだけ。
 背筋を撫で上げるように睦言を落とされ、頭の芯が蕩けていく。口腔内の指をわずかに蠢かされただけで、下半身から力が抜ける。
「……んぁ……、は、あぁ……っ」
「……リクオ、」
 唇から指が引き抜かれれば、空虚が生まれた心持ちがして、思わず溜め息が零れた。
 誰も知らないリクオを鴆が知っていると言うのなら、誰も知らない鴆を知っているのは、自分だ。
 貸元の誰より三代目贔屓として知られる忠義の男が、閨ではどんな目で自分を見ているか。
 どんな声音で自分を呼ぶのか。
 どんなふうに自分を抱くのか。
「鴆、」
 促せば、応えの代わりに眦へと唇が押し当てられる。
 リクオが濡らした鴆の指が、下腹の蕾を探り、宥めるように撫ぜた。
「リクオ、」
 低められた声とともに、慣れることのない痛みが襲う。強張る身体から強いて力を抜き、息を吐いた。
「……はぁ、っ……、っん、……」
「……どこを撫ぜたって、オレの情人はイイ声で応えてくれるって惚気たのは、……聞いてねぇか?」
 入り込んだ指に身の内を掻き混ぜられ、込み上げる違和感を必死で呑み下す。
「……本人も知らねぇようなとこ弄ってやれば、……っ、声が嗄れるまで名前を呼ばれる、……ってのは聞いたぜ? ……っ、ぁ……っ、」
 露悪めいた鴆のからかいに、つい張り合えば、骨張った指が最奥を強く突いて、上擦った喘ぎが漏れた。
「……ぁんの野郎、……んなこと言われてんなら、その通りにさせてもらおうか、……なぁ、リクオ?」
「あぁ? ……っん、何言って、……んっ、」
「声嗄らして、……呼んでくれんだろ?」
「……はっ……、そう、言うなら、」
 呼べと言うなら幾らでも呼んでやる、と思う。
 情事の最中に呼ばれた鴆が、どんなふうに瞬くのか知っているのは自分だけだ。
「……早く、っ、てめえで呼ばせてみせろ、……よ、」
 どんなふうにこの膚へと触れるのか。
 どんなふうに口付けを刻むのか。
「……言うじゃねえか、リクオ、」
 そして、どんなふうに笑うのか。
 知っているのは、自分だけだ。
「言われるまでもねえ。……手加減はしねえぞ?」
 愉悦を隠さない挑発に、リクオは振り向いた。肩越しに視線がぶつかって、鴆は、物騒な光を目に閃かせ、笑った。
 腹へと腕が差しまわされ、俯せの姿勢はそのまま、リクオの腰だけがさらに高く引き上げられる。
 指とは比べものにならない存在感の熱が背後から押し当てられ、ゆっくりとリクオを貫いた。
「……あ、あ……ぁっ……」
 同時に下腹を握り込まれれば、沸騰しそうな熱に感覚全部が持って行かれる。身の内を割り開かれる痛みと、くずおれそうになる快感がない交ぜとなって四肢を犯す。手に負えない疼きが波のように寄せては引いて、指先一つままならない。
「リクオ、」
 あやすように呼ばれて、深く、強く、何度も突き上げられた。
 どこか切実な声が、飛びそうになる意識を引き留める。
「鴆、……鴆っ……」
 前と後ろとを容赦なく責められて、縋るのはその名前しかない。
「リクオ、……っ、オレだけ、その声で……呼んでくれ、……」
「……莫、迦、っ……ん、ぜ、んっ……」
 嬉しげに揺すり上げられて、呼ぶ声すら情けなく掠れた。
 本当は、言われるまでもない。
 その名を口にするだけで、正気など呆気なく失いそうになる。鴆の名こそリクオにとって何よりの媚薬だと、知らないのは本人だけだ。
 熟れきった悦楽が脈打って、リクオを呑み込もうと膨れ上がる。
「……鴆、……っ、鴆もうっ……、」
「いいぜ、オレ、も……っ、……リクオ、」
 あやすように、甘えるように呼ばれた名前が、耳の奥に響いた。
 互いの熱を吐き出し、重なって倒れ込む。
 痺れるような余韻が、四肢を覆っている。
 荒い息を吐きながら、鴆は背後からリクオを抱いた。背中越しに濡れた膚を感じて、リクオもその腕を抱きしめる。
 こんな鴆を、自分だけが知っている。
 一途で容赦ない、そして一人の男としての情深さ。
 ときに悋気すら覗かせる鴆の情の強さを、他の誰が知るだろう。
 そう思うだけで昂ぶりは増して、放ったはずの熱も身体を去らない。
「……鴆、」
 呟くようにその名を呼べば、抱く腕に力を込められる。
「リクオ?」
 いまだ鴆の口調も熱っぽく、リクオは口元を緩めた。
 首筋に、戯れのような口付けが落とされる。
 欲しいのは、もっと深い口付けだ。伸び上がるよう振り向けば、間近で鴆が極上の笑みを浮かべた。
                                (了。10.08.20.)

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