お客様が、との番頭の言葉に喜色を浮かべた次の瞬間、淡島様ですと続けられて、鴆は思わず渋面を作った。
 淡島に含むところはまったくない。むしろ普段であれば歓迎する相手だ。
 そう、普段であれば。
「よお、鴆! 久しぶりだな!」
 いつもの威勢の良さで部屋に入ってきた淡島は、何やら大きな葛籠を担いでいる。よっこらせ、と声を出して畳に下ろしたそれは、人一人も入れそうな大きさの代物で、しかも何やら重そうだった。
「よお。……何だその荷物は」
 不機嫌を不審に紛らせて相手を見れば、淡島は鴆の顔をまじまじと見つめ、人の悪い笑みを浮かべた。
「聞いたぜ? 明日はめでたい日なんだって、鴆?」
「何の話だ?」
「誕生日だよ、誕生日」
 淡島からその単語が出るとは思ってもいなかったが、すぐに合点はいった。
「……ああ、リクオから聞いたか。生まれた日を祝うんだってな、人の子は」
 だから今夜は祝いの酒を持っていくと前々からリクオに言われている。そこまで聞いていれば察せそうなものを、何故今日わざわざ、との思いが顔に出たのだろうか、淡島は苦笑すると、宥めるように鴆の肩を軽く小突いた。
「まあまあ、すぐ退散するからンな顔すんなよ。それに、オレだってお前に祝い持ってきてやったんだぜ?」
「別にオレは何も……おい、ってその荷物か?」
「おう。まあ、開けてみろよ?」
 言われるままに、葛籠に手を掛ける。
 蓋を外し覗き込んでみれば、葛籠の底に転がされたリクオと目が合った。
 ご丁寧に手首と足首を縛られ、口元も覆われている。剣呑な目付きで睨まれ、鴆は頭を抱えたくなった。
「……おい、お前ら、」
「好きにしていいぜ? オレらからの誕生祝いだからな」
 悪びれずに笑うと、淡島は鴆に身を寄せリクオには聞こえないよう耳打ちする。
「今日は特別だ。楽しめよ?」
 リクオと淡島の悪ふざけは今に始まったことではないが、どこから突っ込んでいいのかわからない。じたばたと身じろいで身を起こしたリクオは、しきりに何か言おうとしているものの、口元を塞がれて聞き取れるはずもない。顔半分を覆う布を取り去ってやれば、への字に結んだ口元が現れた。
「……淡島、てめえ覚えてろよ?」
 開口いちばんの悪態にも当人はどこ吹く風で、どこか得意気な笑みさえ浮かべる。
「勝負は勝負だろうが。それに結局連れてきてやったんだから、いいだろ?」
「全然よくねェよ! しかもお前ら全員組んでやがったろ!?」
「さぁて、今更言われてもなぁ。悔しかったら最中に見破ってみな?」
 交わされた会話で大体のあらましはわかってしまう。とうとう溜め息をついて、鴆はリクオの手の縛めへと指を掛けた。
「じゃ、オレはもう退散するぜ。ゆっくりな、お二人さん?」
「あー、またな」
 逃げるが勝ちとばかりに出て行く淡島におざなりな挨拶を投げたが、身を翻した相手に届いたかどうかも疑わしい。
 リクオは仏頂面で、黙ったまま鴆の指の動きを見つめている。
「ほら、……痛くはねェか?」
「平気だよ。……ったく、淡島の野郎……」
 自由になった手首をさすると、リクオは手早く足の縛めを解いた。一緒に転がっていた熨斗付きの酒瓶を掴んで、気まずそうに差し出す。
「これ、オレからの祝い。……なんか、悪かったな。随分遅くなっちまったし」
「別にお前がきてくれりゃあ何だって構わねぇよ。何も気にすることァねぇだろ?」
「……そうか?」
 しょげた様子の恋人に苦笑を誘われて、鴆はリクオの髪を撫でた。
「ああ。それに遅いったって明日だろ、日付は」
「そうだけどさ。けど……」
 珍しく歯切れの悪いリクオの唇を、言葉半ばで塞ぐ。軽く啄むように幾度か口付け、綻んだ唇に舌を忍び込ませた。
 時折ひどく可愛らしいところを見せる恋人は、けれどそう言ったところでまったく喜ばないことはわかっている。舌先で堪え、その身へ触れることで代わりとするしか術はない。
 舌同士を擦り合わせる感触はその先の行為を思い起こさせ、身の内に熱を熾していく。欲望はすぐに膨れ上がって、早くリクオを喰らいたいと本能が訴えた。
「……ふっ……ん……っ……」
 誰に言われずとも、リクオとの逢瀬は特別だ。その体温を間近に感じれば、他のすべては遠のいて、リクオのことしか考えられなくなる。
 舌を絡み合わせ、色めいた吐息を漏らされて腹の底が灼けた。幾度膚を重ねても飼い慣らせない衝動に、鴆は恋人を抱き寄せるとやや乱暴に押し倒した。
                                   (に続く。12.08.09.)  

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