反射的に、身体ごと思い切り袖を引く。
 放り出されたリクオは、呆気にとられた顔で鴆を見ていた。
 今の自分の反応こそが不審だったと気付いても、もう、後の祭りだ。
「……」
「……」
 目は合わせたまま、鴆は唾を飲み込んだ。
「……あー、……リクオ、……」
 しかし、何と続けたものか見当がつかない。
 口を開きかけたまま固まった鴆に、リクオが溜め息を吐いた。
「……何だってんだ、一体」
 呆れた声で、リクオは首を傾げた。
「詮索する気はねえが、……今のは怪しすぎるだろ、鴆」
「いやっ、そんなんじゃねえし!」
「そんなって何だよ……、触ったもんだからつい手にしちまったんだが、まずかったか」
 怪訝そうに顔をしかめられ、冷や汗が出る。しかし冷静に考えれば、薬の存在を知られたところで、それが何か悟られるはずはない。まだ言い繕える余地はあると、右手で庇った袂を握り締める。
「まずいなんてことぁねえよ。こいつはただの薬だ。別にどうってもんじゃねえ」
「薬、かい? にしても大袈裟な……」
 言いかけて、リクオはふと思いついたように、からかう笑みを浮かべた。
「そいつぁ、噂の秘薬でも忍ばせてんのか?」
「なっななな……ンなわけねえだろうがっ……!」
 大声を出してしまってから、再び鴆は我に返った。
 そうだと言ったも同然だったと気付いても、やはり、後の祭りだ。
「……」
「……」
 リクオは胡乱なものを見る視線をよこし、呆れたように首を振った。その場に胡座をかくと、膝へと頬杖をついて鴆を見上げる。
「お前なあ……、わかりやすすぎるだろう、いくらなんでも」
「……」
 つられて膝をつけば、面白がるように片眉を上げられた。
「別に野暮なこと言うつもりはねぇよ。なんでそんなに慌ててんのかは知らねえが、不老の薬だろうと惚れ薬だろうと、おめえがすることなら、別にまずいことはねえんだろうし、」
 秘薬といっても媚薬には限らないのだと、今更気が付く。これほど不審な態度をとったにもかかわらず、事情を問う気はないというリクオは、らしいといえばらしかった。その気持ちが嬉しいと思う一方、単に己の下心が発端なだけに、なおさら袂の中身が重くのしかかる。
「それより、余計な世話かもしれねえが、誰かに届けるもんじゃねぇのか?」
「あ、……ああ、」
 あろうことか心配までされてしまい、唾を飲み込んだ。曖昧に返事をして、袂を探る。
 言わなくて構わないとリクオは言う。
 お前に呑ませるつもりだったなどと、もちろん言うわけにはいかない。リクオが乱れるところが見たかったなどと、それだけは言えない。
 けれどこのままにもできない気がして、懐紙の包みを取り出した。
「確かにこいつぁ、うちの一派で秘薬とされてるもんだ」
 包みを開ければ、砂糖菓子にしか見えない小さな粒が幾つか転がり出る。何とか当たり障りのない説明の仕方はないものかと考えながら、リクオを窺った。
「驚かせちまって悪かったな。……あんま使わねぇもんだから……」
 リクオはさして興味もない様子で覗き込み、けれど色とりどりのそれらを見ると、綺麗な形の眉をわずかに顰めた。
「……金平糖に見えるぜ?」
「ああ、そう言われるみてぇだな、こいつは」
 顔を上げたリクオが、何とも微妙な表情で鴆を見据える。
「おめえが作ったのか?」
「調合したって意味ならそうだな。組成を決めたのは先代か先々代だかだが、……どうした?」
 真っ直ぐに向けられた眸は何かを見極めるように鴆を射、どこか剣呑な光を湛えて細められた。
「まるで金平糖にしか見えない秘薬がある、って聞いてるぜ?」
 リクオの答えは問いの形こそとってはいるものの、鴆が己の浅慮を呪うには十分だった。
「一粒含めば、どんなに内気な娘だろうが、素直になって男と愛し合えるっていうじゃねえか」
「そいつぁ……」
 背中に冷たい汗が吹き出すのを感じる。随分と穏当な言い方だが、的外れなものではない。何てこと吹き込みやがる、と思いつつ、結局のところ鴆の自業自得だ。
 リクオの指が懐紙の上から一粒を摘み上げ、目の前にかざした。面白がるような笑みが、いかにも不穏だ。
「おいっ!」
 今にもリクオは口に含んでしまいそうで、咄嗟に鴆が手を伸ばす。それを躱し、リクオは薬を口に放り込むと、鴆に向かって口の端を上げてみせた。
「リクオ!?」
「それともこう言った方がいいか? 羞恥を忘れて、あられもなく相手を求める秘薬、ってな」
「てめえ……っ、吐き出せ、すぐっ!」
 襟首を掴んで、鴆はリクオの口に指を突っ込んだ。抗う相手を抱き込むようにして、無理矢理指を入れる。
「……ぜっ、……や、…あぁっ」
「ふざけんな莫迦っ! 吐け!」
 噛まれた指に痛みが走ったが、構わず奥を探る。身体を折って咳き込むリクオに不憫を覚えるが、それでも手は緩めない。
「……やっ、がうっ……、ぜっ……」
 鴆の腕を押し戻そうとしていたリクオの手から、力が抜ける。観念したと見て、鴆は容赦なく喉へと指を伸ばした。
「吐けって!」
 リクオが激しく咽せる。けれど呑ませるわけにはいかない。早く終わらせてやるしかないと、さらに指を深くしようとしたところで袖を引かれた。見れば、リクオの手にはいま呑んだはずの薬がある。
「おいっ!」
 慌てて指を抜き、背中をさすった。
 リクオは畳に突っ伏し、背を丸めたまま動かない。咽せるのを堪え、息を殺して気持ち悪さをやり過ごしているようだった。
 からかわれたと悟って、鴆の身体から力が抜ける。狼狽した挙げ句、手荒な真似をするなど最悪だった。先にふざけたのはリクオでも、自己嫌悪が拭えるものではない。
「……大丈夫か?」
 ややあってゆっくりと身を起こしたリクオに、鴆は遠慮がちに声を掛けた。顔は伏せたまま、リクオは手で顔を擦っている。ああした真似をすれば涙が出るのは当然で、ひどく苦しい思いをさせたと胸が痛んだ。
「リクオ、」
「……ンの莫迦鴆っ……」


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