「お前、……それが夕飯かよ。それっぽっちで足りんのか?」
「余計なお世話や! ……ていうか、何でお前がここにおんねん!?」
「おい、いいのかよこいつこれで」
「ゆらちゃんは本家でもTKGばっかりやしなあ。本人がええなら、ええんちゃう? ボクはそのどこが美味しいのか、ようわからんけど」
「だから余計なお世話や!!」
浮世絵町の一角、お世辞にも広いとは言えないアパートの一室に、ゆらの声が響き渡った。
どうもこの子は余裕がなくてあかん、と秀元は思う。こんな部屋に暮らしているからすぐに声を荒らげるのではなかろうかと思いかけ、いや、是光の例もあるかと考え直す。
ゆらが独り暮らしをする部屋に、今日卓を囲んでいるのは三人。はっきり言って狭い。
子孫の暮らす土地を見たいとせがんだ秀元は、例によってゆらの破軍で呼び出してもらった。もう一人、ぬらりひょんの孫だという奴良リクオは気が付いたら上がり込んでいたが、ゆらにもてなしてやる気はないらしく、追い出そうと躍起になっている。けれど相手は涼しい顔で聞き流し、帰る気配はない。
人の姿になった孫とゆらは机を並べて学ぶ間柄だと聞いたが、これでは力関係は明らかだった。侮られてはいないにしても、明らかにゆらは格好のからかい相手だ。本家を継ぐと息巻く少女は愛おしく、またその力量も並ではないものの、妖怪の主に遊ばれる一方では、まだまだ修行が足りないと言わざるを得ない。
「今度うちから何か持ってきてやろうか?」
「うるさい!! 敵の情けは受けんゆうとるやんか! 出てけ!」
「ええやないかゆらちゃん、くれるゆうもんはもらっとき。そもそも、ぬらりひょんこそ人ん家で勝手に飯食う妖怪やで。お返ししてもろとる思えばええやないの」
「それはオレじゃなくてじじいだけどな」
くつろいだ様子で立て膝に頬杖をついたリクオが、不本意そうに肩を竦める。
「ぬらちゃんにはずいぶんご馳走したんやで。そう言うても、本人が言うてきたときしかわからんから、多分こっちが思うとるより何倍もご馳走してるんやろけど」
「ああ、その話は何度も聞いたぜ。陰陽師の本家で飯食ったってな」
「ほんま、かなわんわー、ぬらちゃんには」
秀元とリクオがそれぞれ思うところのある笑い声を聞かせるのを、除け者にされたゆらが納得のいかない顔で睨んでいる。そんな青いところがかわいらしくもあって、秀元は口元が緩むのを秘かに堪えた。
「奴良くん、もうええやろ? さっさと家に帰り」
「何で」
「何でてこっちが聞きたいわ!」
面白がるような笑みを浮かべたリクオは、確かに若い頃のぬらりひょんとよく似ていた。もっとも戦う時はともかく、普段を比べれば孫の方は多少おっとりしていて、秀元の知る彼の、常にあたりを薙ぎ払うような激しさはないと見える。
とはいえ、ぬらりひょんを知るほどに孫のことを知ったわけではなく、あくまで印象に過ぎない。
若かりし日の彼にしても、ただ一人の姫に関しては随分と違った表情を見せてくれたものだ。
「ぬらちゃんちはこっから近いんか?」
せっかくの面白い客人を帰してしまうなどもったいない。子孫に加勢する気がまったくない秀元はのんびりと尋ねた。
「ああ、同じ町内だからな。ゆらは来たことあるぜ」
「へえ〜。すごいなあ、ゆらちゃん」
困った顔でリクオを睨むゆらに、リクオが澄ました視線を返しているが、もちろん見て見ぬふりをする。
「なあ、ボクもぬらちゃんち行きたいなあ。そんな近いなら今から」
「だめだ」
愛想よく頼み込もうとした秀元の言葉を、リクオは間髪入れずに遮った。
「え〜、ちょっとくらい」
「今日はだめだ」
意外にも、強い語調が繰り返された。やはり珍しいのか、ゆらもまじまじとリクオの顔を見ている。何となく、さっきまでより表情が硬い、ような気もした。
京で戦ったときでさえ、どこかには余裕を残していたリクオに、今はそれが感じられない。
「何や、家に帰りたくない理由でもあるんか?」
あるいはと思い当たる節を口にすれば、ことのほか相手の表情は揺れて、答えは明らかだった。
「んなわけじゃねえけど」
「そんならええやないか」
「陰陽師を連れてけるわけねえだろうが」
「ゆらちゃんが行ってるなら、一度も二度も同じや」
無表情を装う相手はからかい甲斐があって、秀元はわざと子どものように言葉を重ねた。
「……さっきから話聞いとれば、別にゆらちゃんちにしょっちゅう来とるわけやなさそうやし、」
当たり前や、と叫ぶ声が聞こえてきそうな形相のゆらを、目配せで黙らせる。
「今日がだめって言うなら、誰か会いたくない客でも来てるんかなあ?」
「……そうだとしても、あんたには関係ねえだろ?」
口の端こそあげてみせるものの、リクオの切り返す声に覇気はない。
「関係ないわけないやろ。妖のことは何でも知っとくのが陰陽師の努めいうもんや。相手が奴良組の三代目ならなおのこと」
「そういうもんか?」
「喧嘩でもしたんか? ええ仲なんやろ、鴆、といったか」
「……」
「ぜん?」
まったく、若い者の色恋ほど肴にして楽しいものはないと思う。これもすべて優秀な式神のおかげ、ひいては己の研鑽の結果だ。
突き刺すような視線をよこしたリクオに、秀元は満面の笑みで応じた。隣りではゆらが、覚束ない発音でその名前を繰り返す。
「鴆、や、ゆらちゃん。毒羽根を持つ鳥の妖、知らんのは勉強不足やで」
「鴆、鴆。……ああっ、鴆て!!」
やはりこの子孫は決定的に落ち着きが足りない、と秀元は心中で溜め息をこぼす。こんなにも考えていることが丸わかりでは、サトリすら要らない。
「男やないか!! え、だって今、ええ仲って、どういう、」
「そんなつまらんことで話を遮らんと、ゆらちゃん。そんなん、ええ仲言うたら好きおうとるに決まっとるやないか。好き合うのは別に男女に限ったことやない、当たり前やろ?」
「そ、そうなんか?」
「そうや。現に付き合うとる者を前にして、失礼やろ。相手を思って、思いを告げて、身体を重ねるのは古今東西の恋人たちの間で変わらんことや。やることは一つやろ」
「え、一つ、て」
「なあ、君が先方の屋敷から飛び出したまま四国まで行ったことはわかってるんや。何しとるんかと不思議に思うてたけど、これまた豪快な痴話喧嘩やねえ。相手に目移りでもされたん? それとも、なんや閨であったん? あるいは、飽きたとか飽きられたとか? 最初から身体の関係だったとか、相手の気持ちが信じられないとか、それとも急に冷たい態度でもとられたとか? もしかして、無体なことでもされたとか? 逃げてても解決はようせんし、一緒に行ったろか?」
なにやら呟いているゆらは放り出し、秀元はリクオに向かって、乗りかかった船だと畳みかけた。
こちらを睨み付けていたリクオだが、やがて視線を逸らし、俯いて、秀元が言葉を切ったときには耳まで朱くなっている。
「なあなあ、ええやないか。せっかくやからまずは馴れ初めから話してん? その間はこの部屋におればいいし」
「……あんた、……勘弁してくれ」
勢いよく立ち上がったリクオは、羞恥を隠すよう掌で口元を覆っている。それでも覗く表情は、目元までもが朱く染まってひどく艶めかしい。
「邪魔したな、ゆら」
「えっ、なっ、帰るんか奴良くん」
「帰れって言ったのお前だろうが」
どうにか浮かべた様子の笑みだけ残し、リクオは部屋を出て行った。
「はあ〜〜」
大きく溜め息をついた秀元の気掛かりは二つ。
「なあ、ゆらちゃん。今度は絶対帰さんで、あいつに最初の馴れ初めから喋らせなあかんで?」
「なんで、そんな、」
「それからなあ、」
己の子孫を上から下まで見て、秀元はもう一つ、溜息を吐かざるを得ない。
「人の成長はそれぞれなんやから、ぬらちゃんの孫を見て、落ち込んだりはしないでええんよ? ゆらちゃんも、そのときが来ればちゃんと色っぽくなるからな?」
「……だから余計なお世話や!!」
(10.09.19.)
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