「まだリクオの行き先はわからねぇのかい?」
 既に何本目かになる徳利を持って行った首無に、薬師一派の長が焦れた声をあげた。
「申し訳ありません。生憎、まだ」
 生真面目な声を返すと、唇を噛んだ鴆は目を伏せた。
「やっぱりオレも探しに」
 落ち着かなげに立ち上がろうとするのを、押しとどめる。
「探索に出たまま、まだ戻っていない者もおります。せめてそれをお待ち下さい」
「けど、」
「陰陽師の者の家を出たところまではわかっております。それよりも、」
 口調をあらためて、鴆を正面から見据える。
「何があったかを、教えていただきたく」
「……」
 眉を寄せた鴆が、それでも座り直して首無を見据えた。ずっと険しいままだった表情が、困ったふうに緩んでいる。本家を訪れた用件が用件であり、普段の気の良さも今日はすっかりなりを潜めていたが、あらためて問われれば気まずさが勝るということらしい。
「何があったってもなあ……」
 オレが知りたいんだが、と呟く相手に、首無は満面の、それでいて実のない笑みを向ける。
 子細がどうあれ、大事な三代目を泣かせたのであれば、落とし前はつけてもらわなければならない。そうでなければ、己を信じてくれた鯉伴に顔向けできないと、首無はあらためて相手へと目を据えた。
 リクオと鴆との仲に最初に気付いたのは、当然ながらリクオの側近たちだった。鴆は貸元の中でも一貫してリクオ贔屓で知られており、奴良組本家での受けはいい。しかし、義兄弟の契りを結ぶのと、わりない仲になるのとでは、話がまったく違う。
 リクオが望むのならそれでいい、それが側近たちの総意ではあったけれど、幼いときから大事に大事に見守ってきた三代目が、あろうことか頼りにしていた貸元と枕を交わしている事態に、複雑な気持ちは消しきれない。
 さらに追い打ちをかけることに、彼らが共寝の後に顔を合わせれば、閨での立場はおのずと知れて、周りの者を居たたまれなくさせた。
 大切に大切に育ててきた三代目は、まさに今、花開こうとしている。その主に何を致しているかと思うと、問答無用で薬師一派の長を蹴り出したくなったことは数え切れず、刃傷沙汰となっていないのは、ひとえにリクオを悲しませたくないためだ。
 おそらくは、相手が誰であろうと、穏やかな気持ちでいられぬことに変わりはないのだろうと、首無は思う。さしずめ、娘を嫁にやる父というのは、こんな気持ちなのかもしれない。そこまでわかっていても、いや、自覚しているから尚更にと言うべきか、できれば一度黒弦でくさり蜘蛛に掛けてやりたいと思うのを止められない。
「そうは言っても。若は薬鴆堂から飛び出していったと」
「……なあ、首無、」
 廊下の灯りが揺れる障子へと、鴆は視線を逸らした。珍しく、心ここにあらずの様子で首無を遮る。
「リクオは、」
 逡巡するように言葉を切る。
「何であいつは……あんなにかわいらしいんだろうな」
「……そんなことは、よく存じていますが」
 首無の言うことを聞いているのかいないのか、鴆は困ったような表情で頭をかいた。
「リクオを早く捕まえて、誤解を解きたいのは本当だ。あいつが何処かで要らねえ心配してると思うと居ても立ってもいられねえが」
 もどかしさを聞かせて、鴆は顔をしかめた。
「けどな、あいつが怒った顔ってえのが、また色っぽいことこの上ねぇ」
「……怒った顔、ですか」
 露骨な形容詞に、黒弦を手繰りそうになるのを首無は堪えた。
「どんな顔だってリクオは綺麗だけどよ。怒ったときは頬が上気して、あの眸ぇ瞠って睨まれると、うっかり見惚れそうになるぜ」
 思い出したように、鴆の口元はわずかに緩んでいる。
「だからあん時も、……つい耳の方が留守になっちまってたってのはあるんだよなあ」
「……心当たりはある、と」
「実際見惚れちまったっつうか、あん時、ちゃんと捕まえて何か言えばよかったんだと思うんだが、」
 頬杖をついた鴆は、大きな溜息を吐いた。
「リクオは……普段は結構、何があろうと涼しい顔してみせてるだろ? あいつの懐の深いのは本当だが、三代目として気ぃ張ってるとこもあるんだろう」
 いつしか、語る鴆の口調は随分と甘さを含んだものになっていて、娘の父、もといリクオの保護者を自認する首無は、どうにも落ち着かない。
「二人でいる時ぁ、表情ももっと露わになるし、何より結構つまんねえことで怒ったりするんだぜ?」
 思い出したように笑みを浮かべた鴆の視界に、もう首無は入っていないらしい。
「だからあん時も、ついそんな気になりそうで、……次に会えても、やっぱり見惚れたっきりになっちまう気もするんだよなあ」
「……」
 結局、状況はまったくわからないままで、首無は諦めて座を立った。主との惚気を聞かされ、何か喉につかえるような心持ちがするのは気のせいだろうか。いっそ祝言を挙げられるものなら、そのほうがよほど諦め、もとい心休まる気がして、首無は一人、廊下で目頭を押さえた。
                                  (10.09.20.)


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