「おう、邪魔するぜ」
「鴆!」
嬉しそうに、淡島が声をあげた。
「久しぶりだな! 元気そうじゃねえか!」
「おう、お前らもな」
見知った顔に笑みを向けて、鴆が部屋へと入ってくる。さりげなく座を譲った冷麗の場所、リクオのすぐ隣りに腰を下ろすと、有無を言わさず、その手をとった。
「なあ、リクオ、」
リクオの手を包む鴆の掌に力がこもる。
「遅くなっちまって悪かった」
普段の威勢のよさはすっかりなりを潜めて、鴆は弱りきった声を聞かせた。身を乗り出してリクオを見つめ、リクオの方もまっすぐに視線を受け止めた。
周りでは選択の余地なく友人の色恋に立ち会わされた面々が、固唾を呑んで見守っている。遅くなったも何も、リクオが鴆から逃げ回っていたことは周知なのだが、今更誰も気に留めない。
「オレが至らねぇばかりに、リクオにつらい想いをさせちまった」
「……鴆、違うだろ。そんなふうに言うな」
「けど、リクオ、……なあ、あの時、」
人目を憚らず、鴆の手がリクオの頬へと触れる。愛しそうに指が輪郭を滑り、髪をかき上げた。
「恥を忍んで言えば、なんでおめえが怒ったのか、オレにはわかってねえ。けど、頼む、誤解を解かせちゃくれねえか?」
覗き込むように懇願する鴆に、リクオは決まり悪げに表情を曇らせた。
「そんなん、……誤解とか、そんなんじゃねえよ」
「でもじゃあ、……リクオ、」
鴆の親指が、言い淀むリクオの唇を撫ぜた。低く、甘く呼ばれて、それ以上黙っていることはできなかった。
「あの日、」
言い差して言葉を切れば、鴆が促すように頷く。その眸のなかに確かな熱があるのを認めて、リクオはようやく話し始めた。
あの日、いつものようにリクオは夜の散歩と称して薬鴆堂へと足を向けた。晴れわたった空に美しい月がかかり、めったに手に入らないいい酒を手に、リクオは上機嫌で降り立つ。鴆も嬉しげにリクオを迎え、部屋に入るのを待たずに恋人を抱きしめた。
普段、鴆が起居する部屋に足を踏み入れると、いつもとは違う、かすかに甘い香りが漂っていた。見れば、部屋の隅に大きな笊がいくつも並んでおり、何かの植物が乾燥させられている。
鴆の屋敷に薬草の類が並んでいるのは当たり前のことで、リクオも気にしたことなどない。ただその時は、誘うようなその香りにつられて、つい笊の前に膝を着いた。
「何の薬になるんだ?」
尋ねたのも、何の気無しのことだ。
「そうだな、何の、とは言いづれぇんだが、気散じの薬ってとこか」
首を傾げたリクオに、鴆は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「巷では、惚れ薬なんて言う奴もいるな。誰が言い始めたんだが知らねぇが、今じゃそっちの方が通りがいいかもしれねぇ」
怪しげな単語が出てきて、リクオも思わず苦笑する。
「惚れ薬、とはたいそうだな」
「そんなわけあるかと思うんだが、」
鴆の指が笊の上から花弁らしき欠片を拾い、確かめるようにかざす。
「使ったその瞬間から相手のことしか考えられねぇ。離れていれば気もそぞろ、そいつの顔やら声やらが頭をちらついて他のことはままならず、ただ、会いたいとしか考えられなくなる」
意味ありげに瞬いて、鴆はリクオの肩を掴むと、耳元に顔を寄せた。
「顔を合わせたら合わせたで身体が火照り、動悸が逸って、苦しくて仕方ない。相手に自分を見てほしい、思ってほしい。……触れたい、触れてほしい」
低く囁く声とともに、体温を感じさせる吐息がリクオの耳朶にかかる。
「交われば交わるほど夢中になって、」
濡れた感触が耳殻を舐って、リクオの背を震わせた。
「欲しくて、ただ欲しくて、正気なんかなくなっちまう」
優しく甘噛みして、鴆の身体が離れていく。馴染み深い熱に置いていかれて、胸の何処かが疼いた。
「とまあ、噂の通りならそういう話だ」
肩を竦めた鴆に、リクオもかろうじて片眉をあげてみせた。ときどき鴆は、ひどく意地が悪い。
「すがりたくなる気持ちはわからねえでもねぇが、いったいどうしてそんな話になったんだか」
「わかんねぇのか?」
花弁の匂いを確かめるよう指先を嗅いで、鴆は眉をしかめた。
「植物の薬効は、すべてわかってるわけじゃねえ。危険がないことは確かめてても、思いもかけない作用がないとは限らねえんだ」
「ふうん、そんなもんかい」
「なんなら、」
ふと思いついたように、鴆が人の悪い笑みを浮かべる。
「てめえで試してみるか?」
「何を莫迦言って」
「相手のことしか考えられなくなる、」
目を細めた鴆が、楽しげに繰り返した。
「会えば苦しくて仕方ない、交わるほどに欲しくて仕方ない……そんなに激しくおめえに想われたら、いったいどんな心地なのか、味わってみてぇじゃねえか」
「……莫迦かお前は……っ」
(10.09.22.)
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